こけかかの項

創作同人サークル【こけかか】の案内

健康結構虚仮こっこー

田舎育ちの人間にとっては

映画館は「遠き」モノであり、

それ故に非日常的な場所だった。

「映画を観る」となると

もっぱらTVのロードショーや

山を降りた街にある

レンタルショップ

DVDを借りるしか手段がなかった。

 

そんな人間が上京し

真っ先に通ったのは映画館だった。

「遠き」モノがそこら中に点在し

まるで大人が駄菓子を漁るが如く、

暴力的なまでにあちこち自転車を飛ばした。

何より魅力的だったのが

『単館』と呼ばれる存在。

懐古主義的な思想に偏っていたので

主にリバイバル作品を観るため

訪れるのが日課であり、

DVDでしか見知らなかった作品を

スクリーンで観れる喜びはひとしおだった。

 

しかしながら時が経つにつれ、

映画館からは徐々に離れていった。

理由はいくつかあるけれど、

一番はサブスクの影響に思う。

「借りる・返す」という動作がないだけで

こんなにもラクなのかと

感動さえ覚えたほどだった。

つまるところワタシ目は、

非日常の焦がれた場所よりも

ラクさを選んだわけです。

 

ずいぶん前置きが熱心になったが、

この間本当に久々に『単館』へ行った。

前回はいつだったか

覚えていないほど年月が経っていて、

19時の映画館に少し緊張していた。

 

観たのは【J005311】という作品。

なぜ観たのかはこの際取るに足らないので

バズっと省かせてもらいますが、

結論から言うと「凄まじかった」。

面白いかどうかではなく、

観終わった後「凄まじいもの」を観た

という風が吹き続けた。

人間のエネルギーを具現化した拳を

頬へダイレクトに食らったように

脳がしばらく揺れていたほどに。

 

...正直率直に告白すると

冒頭から途中までは退屈に感じていた。

登場人物を鬱陶しくさえ思った。

基本的にうだつの上がらない

『自分だけ不幸』を気取った人物を

好きにはなれない質であるため、

どうしても意味や理由を探してしまう。

なぜコイツはこんなにも

不幸ぶっているのだろうか、と。
しかしながらその理由というのは、

劇中でボソボソと告げられるセリフや

ちょっとしたシチュエーションから、

少しだけ想像できる程度に留まる。

言ってしまえば、まるで分からない。
更にはこの映画で多用されるロングカットも

僕の心持ちの一助になっていた。

最後まで観た今となっては

『こだわり』として納得しまくりだが、

理由厨のワタシにとって(途中まで)

本当に合わないとまで感じていた。

 

しかし、そんな心情はあるワンシーンで

劇的なまでにひっくり返ってしまった。

映画も後半、2/3ほど進んだところ。

主人公は今までと変わらぬ本当に些細な、

鬱屈めいた行動をとりながらの暗転。

直後の場面転換際の風景を見た瞬間、

自分の中で今ままでの映像が

解像度3倍増しでフラッシュバックされ、

ガッテン!を連打したいほどの

奇妙な納得感に襲われた。

そこからはずっと体が熱く、

「凄まじいもの」を観ているという

形容し難い緊張感が終演まで続いた。

 

ワタシがこの映画に対し出した結論は、

これはリアルではない、ということ。

内容が、という意味ではなく

主人公達の行動と理念がという事だ。

だからこそワンシーンで納得した。

リアルではないというのは

生活ではないという事であり、

彼らは常に精神を探していた。

 

探しているからこそのカットであり、

探しているからこその行動だった。

 

”思春期”もとい”青春”という病を

抜け出せなかった罹患者たちは、

壇上で道化にすらなり切れずに、

舞台を放棄してでも自らの足で

歩を進めなければならない。

 

堕ちよ、生きよ 坂口安吾/堕落論

 

最後まで歩き切った先に

感動があったのかも知れない。

それが現実であろうと虚像であろうと

進み続けた(堕ち続けた)熱量が

胸の高鳴りを呼び起こしたに違いない。

 

映画好き、もとい

リエーター志願者へ薦めます。

 

j005311.com

 

※書くのに時間がかかりすぎて

半分ほど上映が終了しているという事実...